在40歲前為了生活品質與生活的安定性,我一直以工作為優先考量,從沒想過要生小孩。一直到了40多歲時才開始考慮差不多要進入人生下一個階段,那時的我完全沒想過卵巢會如此迅速地衰退。42歲的時候我第一次到婦產科進行相關檢查,醫師告訴我:「雖然妳現在還有月經,但妳目前已經要進入停經的狀態了。」馬上我又到了另一家醫院檢查,得到了一樣的診斷結果,甚至告訴我沒有可以治療的方式。當時的我世界一片漆黑,完全沒有一絲希望,每一天的夜晚都在悲傷後悔的淚水中渡過。走在路上看到別人帶著小孩,這讓我更加強烈的想要有小孩。我不放棄的在網路上不斷找資料,終於我找到了可以用借卵的方式來幫助我自己,同時也才知道日本不能夠借卵,我便下定決心要到國外進行借卵。某天偶然看到福岡的セントマザー医院有介紹病患到台灣借卵,並且也順利生下小孩的文章,我很快的到セントマザー医院與院長田中醫師討論借卵一事,院長介紹我到台灣的送子鳥診所,雖然在美國和泰國也能借卵,但台灣是經由國家合法且有法律制度規範下才實施的醫療行為,相對來說比較安全。

終於到了快接近去台灣的日子,在這之前我和送子鳥診所的日語諮詢師,用電郵或是LINE聯繫,消除了很多我的疑問與不安。我們到了送子鳥診所後發現,這就是一家醫院的規模,因為在日本對於「診所」的印象是一家小醫院。送子鳥則是一家非常精美的醫院(就像是美術館一樣漂亮),安全措施良好,員工們也都非常的親切友善。特別是日語諮詢師,真誠用心地幫助我。醫師詳細地解說借卵療程,醫師充滿微笑的對我們說:「不用擔心!」,讓我們夫妻倆的不安情緒消失,就像被風吹走了一樣。

回國之後,比我們想像的還要快就配對到了捐贈者,很快的我又再次前往台灣,因為先生工作的關係無法陪同我一起,我的父母親陪同我一起到台灣,睽違多年親子三人也一同在台灣觀光,台灣人都很親切友善,會說日文的人也很多,不管去到哪都不用擔心,讓我們輕鬆又愉快的玩樂。

第一次的植入很可惜的沒有著床,第二次植入胚胎順利著床,驗孕的結果是陽性,那時的我覺得太不真實,驗了多次確定都是陽性後才相信這一切是真的。我到現在都還記得,那時我開心的簡直要飛上天了。

懷孕後一切都也都很順利的生下了寶寶,寶寶出生時很健康、很能喝奶也很會哭、也很能睡,就這樣寶寶一點一滴的長大。感謝捐贈者提供了如此健康的卵子,也很感謝送子鳥診所的大家。

對於像我一樣快停經而無法懷孕的人,又或是因為其他理由而一直無法懷孕的人,我認為要立即開始思考是否要進行借卵。因為據我所知,不孕治療的費用很昂貴,也會花費不少的時間,以及造成精神上的負擔。如果真是如此,我認為不需要堅持一定要用自己的卵子,早點思考是否用借卵的方式可能會是更好的選擇。

不是用自己的卵子,總是會很擔心生下的孩子與自己長得不像,但其實這些擔心都是多餘的,當我自己帶著孩子出門時,大多數的人都會說:「孩子長得跟媽媽好像喔!」,當先生帶著孩子出門時,大多數的人也都會說:「孩子長得跟爸爸好像喔!」,因此根本不需要在意別人的眼光。再來,如果擔心不是用自己的卵子,生下來的孩子就覺得不可愛,我想這個擔心也是多餘的。

實際上在我剛生下孩子時,一直無法相信這是我的孩子。他就好像被上帝賦予的生命般,有種不可思議的感覺存在。日復一日的照顧他,讓我不自覺的意識到這個孩子的「母親」除了我以外沒有別人了的想法,孩子也非常的黏我,隨著時間日益增長,覺得孩子越來越可愛的感覺不斷增強。當我抱起孩子時,這幸福感是無法被任何東西取代的,他就像是我們夫妻倆最重要的寶物。

真的真的非常感謝送子鳥的每一個人,因為你們,我才能有擁有這最美好的寶物。我希望我的文章能夠鼓勵,像我一樣苦惱悲傷的女性們。

最後,我想告訴我的孩子:「希望你好好享受這健康美好人生」。

 

私は20代~30代の頃は生活を安定させるために働くことを優先し、子供を作りませんでした。40代になってそろそろ子供を作らないといけないと考えましたが、そんなに急激に体が衰えていくとは考えていませんでした。そして42歳の時、初めて婦人科で検査をしてもらったところ、生理があるにも関わらず既に閉経状態にあると言われてしまいました。すぐに別の病院でも調べてもらいました。しかしながら診断は同じで、治療する方法がないと言われてしまいました。目の前が真っ暗になりました。悔しくて悲しくて毎晩泣いていました。子供を連れて歩いている人を見ると、どんどん子供が欲しい気持ちが強くなりました。そしてどうしても諦めきれなくてインターネットで調べ、卵子提供という方法を知りました。同時にそれが日本では受けられないということもわかり、すぐに海外で受けることを考えました。その時に偶然テレビで福岡のセントマザー医院を介して台湾で卵子提供を受け、無事に子供を授かった人がいるのを見て、セントマザーの田中院長にご相談し、台湾のこうのとり診療所を紹介していただきました。アメリカやタイでも卵子提供を受けられるそうですが、台湾では国が認めている治療行為であるため安全だということもわかりました。

そしていよいよ夫婦で初めて台湾へ行く日がきました。それまでは日本語が話せるスタッフの方とメールやLINEでやり取りをし、少しでも疑問や不安に思うことは全て解消してもらっていましたが、実際にこうのとり診療所に着くまでは、本当にちゃんとした病院なのか半信半疑でした。なぜなら日本では「診療所」と言うと小さな病院を連想するからです。しかし着いてみるととても立派な病院で(美術館のような素敵な造りです)、セキュリティは万全、たくさんいるスタッフの方々も皆とても親切でした。中でも日本語が話せるスタッフの方は本当に親身になってお世話をしてくれました。そして先生から卵子提供について懇切丁寧な説明を受けました。先生はにこにこと優しく微笑みながら大丈夫と言ってくださり、私達夫婦の不安な気持ちは一気に吹き飛びました。

帰国してからは、思っていたよりもずっと早くドナーさんがみつかり、再び台湾へ行きました。夫が仕事で行かれなかったので、両親と行きました。久しぶりに親子水入らずで観光もできました。台湾の方々は皆親切なうえ、日本語を話せる方も多いので、どこに言っても困ることはなく、リラックスして楽しめました。一度目の卵子提供は着床せず、残念ながら失敗に終わってしまいましたが、二度目の時に無事に着床し、妊娠検査が陽性となりました。信じられなくて何度も何度も妊娠検査薬を試し、その度に陽性の結果が出ることを確認しました。その時の飛び上がるような嬉しい気持ちは今でも忘れません。

こうして無事に妊娠にいたってからは本当に順調で、なんの問題もなく出産できました。産まれてきた赤ちゃんはとても元気で丈夫な子で、よく飲んでよく泣き、よく眠ってすくすくと育っています。とても健康な卵子を提供してくださったドナーさん、そしてこうのとり診療所の皆様には本当に感謝しています。

私のように閉経が理由で妊娠ができない方だけではなく、何らかの理由でなかなか妊娠することができない方も、すぐに卵子提供を受けることを検討すべきだと思います。不妊治療はとても高額です。そして時間もかかり、精神的にも負担がかかると聞いています。それであればいつまでも自分の卵子で子供を授かることに固執せず、少しでも早く卵子提供を受けて出産することを検討したほうがいいと思います。

自分の卵子じゃないと、自分に似ていない子が産まれるのではないかと心配するかもしれませんが、そんな心配は一切無用です。自分が連れて歩いている時は、大抵の人が「ママに似ている」と言ってくれます。夫が連れて歩いている時は「パパに似ている」と言われています。他人の目はそれぐらいいい加減なものです。また、自分の卵子じゃないと産まれた子を可愛いがれないのではないかと心配するかもしれませんが、そんな心配も無用です。実際に私も出産してすぐの頃はまだ自分の赤ちゃんということが信じられない気持ちというか、神様から預かった命のような不思議な気持ちがありましたが、毎日お世話をしているとこの子の母親は自分しかいないのだという自覚が芽生え、赤ちゃんのほうも私を全面的に頼ってくれて、それが日に日に増していくため、どんどん可愛く思う気持ちが強くなってきています。抱っこしている時の幸せな気持ちは何にも代え難いです。私達夫婦の大切な宝物です。

こんなに素敵な宝物を与えてくださったこうのとりの皆様には本当に本当に感謝しています。悩んだり悲しんだりしていたかつての私のような女性達を、これからもたくさん救って欲しいと願っています。

最後、子供に伝えたいことは、「元気いっぱい人生をエンジョイして欲しい」ということです。

*醫療行為需與醫師討論進行,本篇文章僅反映當時治療狀況與建議